Oさんが死んだ。
死亡期日&時間は、10日午前00:15時。
約500人が集まった。
交友が広かった。
アジアの会には15年くらいかかわり、子ども二人も、奥さんも、
かかわり、参加して、ボランテイアして、
今も理事の一人だった。
残念だ。
10月24日の通常総会に出られなくなった。
仕事のほかに、趣味や、ボランテイアの仲間が多い。
スキー、登山クラブ、里山保全クラブなど、など。
人のつながりがとても広かった。
人は、一人では生きてゆけない。
彼には、よい友人と家族があった。
死ぬ直前には、「さびしい、さびしい」と、
泣いていたらしい。
おれにもその気持ちがわかるよ。
お坊さんのお経抜き、戒名抜きの、「友人&親族だけの葬式」だ。
本人の希望だった。
遺骨は「生まれ故郷の北海道の、山野にまいてくれ」だそうだ。
壮絶な癌との闘いが終わった。
自宅で、温かい家族に見守られてあの世に行った。
人も、生き物。
いずれ死んでゆく運命だ。
彼は、仕事も、趣味も、社会貢献も、十分にした。
人はどう生きるべきかを教えてくれたよ。
おれも悲しい。
大事な友人を失った。
泣いた。
泣けた。
世話になった、アジアの子どもたちから、
「Oさん、ありがとう。私たちはあなたのことを忘れません」
人間愛を後世に残した、
Oさん、ありがとう。
もう、ゆっくりできるね。
おれは、自分の家族をダブらせて、
泣いた。 泣けたよ。
今日は午前10:00時から告別式だ。
おれは、「合掌」
おれは、告別式出席のため、明日は仕事を休んだ。