俺の死に場所のモンゴルに来た。
昨夜、22:00時、成田からの直行便で、首都のウランバートルに到着した。
ウルジェーが出迎えに来てくれた。
俺は、彼女と、連れ子の4歳の娘と、3人で、モンゴルで生きてゆく。
日本には、もう、帰らない。
自宅のマンションの売却は、近所の親戚に頼んだ。
モンゴルは、すでに、厳しい真冬が到来している。
とても、人が住む環境では ないよ。
俺は、ウルジェーと、「二人三脚で、モンゴルから、世界から貧困を無くそう」に
残りの、すべての時間を費やすことになった。
もう、日本で、あの世に行く、順番待ちから、開放されたよ。
他の人は、世の中、他人の批評だけで人生がおわる。
そして、家庭を守る。
俺は、実際に行動するから、
家庭崩壊になった。
俺は、日本の自宅がうれるまで、この、母子センターの奥の小部屋に
おいている、ダブルベッドで、寝ることになった。
俺は、
風呂も、シャワーもない。
60-70万人が住んでいる、同じ境遇の、ゲル地区の人々と同じだよ。
ここでは、人々は、必死に、「今日に生きる」だ。