今、4月24日(水)の朝3:45です。
昨夜11:00時に、ICレコーダーで、モンゴル語を聞きながら寝たのに、もう、目が覚めました。
日本を出るときに、近所の義兄にCDにコピーしてもらった、島津亜矢の演歌を、ベッドで聞いていました。
異国での演歌は、日本の郷愁を呼び起こします。
私は、この地を「終の棲家」と考えています。
今年の夏は、年齢が満70歳です。
69歳で、がんで死んだ父親の年齢を超えます。
現在は、できるだけ健康にするため、毎日、一時間、
腹筋器具と歩行器で運動しています。
深夜一人、「子ども2人は元気だろうか?」
と、心配しています。
「親ばか」でしょうか?
この頃も、約500M近くで、朝9時から、午後5時まで。
毎日(土曜、日曜は休み)おばちゃんたちの仕事場になっている、母子センターで働いています。
私にとって、そこは、「居場所がある」空間です。
無給でも、自分が「社会で役立っている」、生きている
証にもなるのです。
最近は、「故郷は、遠きにありて思うもの。
よしや、うらぶれて帰るところにあるまじき・・・・」
が、実感です。
来月は、この首都の西、約1,000KM、妻のウルジェー
の生まれた村に行きます。家族3人で、プロペラ機で往復です。
学校で「読書感想文コンテスト」の表彰式に出席します。
千葉のAさんが、「交通事故で母が死んだ、保険金の
一部を、アジアの子どもたちに使ってください。
10年プログラムの、今年は最終です。
深夜、一人(妻は、5歳の娘と、子ども部屋で添い寝)
静かに、自分の過去を思い出します。
たまたま、先ほどは、ボストンから友人から、「テロリスト
の大騒動は終わった。高岡が住んでいた、1970年代初め
から、ボストンも、隣のケンブリッジも、町並みがずいぶん変わったよ」と、メールをくれました。
懐かしいですねえ。
勉強とアルバイトに明け暮れたアメリカの生活でした。
今は、まさに、演歌を聴いて「郷愁に浸る」です。
幸い、モンゴルでの生活は、経済的に安定しているので、
家族3人、幸せな日々です。
今年は、自分の墓石を作るつもりです。
今、4時20分、水を飲んで、、もう一度寝ます。
モンゴルは、長い冬も終わり、「春が到来」です。
日の出は、6時半、日没は8時です。